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2015年10月26日月曜日

いろんな英語があるなっていうお話



copy right common creative


こんにちは。GICスタッフのYumaです。

秋になって少し寒くなってきたかと思えば、
日中は半袖でもいいくらい暑かったり、
今日は白い息が出てきそうなほど冷たかったり、
謎な気候ですね。

風邪を引かないようにお気をつけください。


さて、最近感じたことがあります。

GICスタッフとして英語には毎日ふれますが、
正直なところ英語を「学ぶ」という点では不十分だということです。

たしかに一日じゅう英語で記事を読んだりメールを書いたり、
聞くのも話すのも英語なので楽しいことは楽しいです。

この環境をうらやましがられたりすることもあります。

が、それでも自動的にネイティブと同じくらい
スラスラ話せたり聞いて理解することはできません。

なぜでしょうか?

もちろんはじめは苦労しました。
慣れない文字を見つづけたり、
慣れない言葉を聞きつづけたりすることは、
とてもストレスですし、いやになることもありました。

しかしある程度の月日が経ってくると慣れてきます。
慣れてくると英語がのびているように感じてだんだん得意になっていきます。

でもそこからまたしばらく経つと、
ある地点からのびなくなりました。

ぱったりと上達しなくなったんです。

そういう時期か?と思いながらしばらく待ってみましたが、
それでもなかなか頭打ちした状態は改善されません。

「やっぱり海外に行かないとネイティブと同じくらいにはなれないのかなぁ」
と思うようになりました。

そして真剣に海外に移住したろうかな、とも考えました。
(どうしてもネイティブみたいになりたいという底のない願望があるんです…)

でもどうして海外に行けばそういう状態が改善されて、
日本にいては改善されないような事態が起こるんだろう?と思いました。

はたして自分はいったいなにを求めているのか?
「ネイティブみたいになりたい」の実態を今回考えてみることにしました。



「ネイティブみたいになりたい!」

英語が好きで、英語を学んでいる人であれば、
一度は思ってみたことがあるんじゃないでしょうか?

COCO塾のコマーシャルの伊勢谷友介みたいにペラペラ話せたら、
きっとモテるだろうなぁ。
(You know how important the roses are! For a woman to say "Yes"!)

将来はアメリカ人と結婚したい。
英語が話せたらいい仕事に就ける。

そんなふうに考えている方もいらっしゃると思います。

僕もどちらかというとそういう方面から英語を学びはじめました。
モテたい、格好良くなりたい、英語をペラペラ話すイカした仕事に就きたい。

そのために必死に勉強してきました。
いまも勉強しつづけてます。

だけどどうしても目を背けられない事実の壁が前にあります。
そう、自分はしょせん日本人という壁です。

日本語で考え、日本語でできたからだに英語が完璧に備わるはずがないんです。
まずはその事実を認めなければいけません。
(でなければ学べることも学べません。学習の基本的な姿勢は素直であることが重要です。)


さて、一口に「英語」と言ってもさまざまです。

中学校や高校で学ぶ「受験英語」。
TOEICなどで広まっている「ビジネス英語」。
TOEFLやIELTSのような「学術英語」。
それ以外にスピード・ラーニングのような「話す英語」「聞く英語」、いわゆる「日常英語」ですね。

いろんなカテゴリがありますね。
僕は必死に努力して数年前に英検1級を取得しました。

英検1級取れば「ビジネス英語」も「学術英語」も「日常英語」もカバーできるだろう、
というかネイティブくらいペラペラしゃべれるようになれんじゃないの? とたかをくくっていましたが、いやはや。

全然スラスラ話せないやん。

英検1級もしょせん「受験英語」の延長でした。
出題された単語のほとんどの役立たずのまま記憶のごみとなりました。
(そもそもネイティブすら知らない単語を出す英検1級の目的はなんなのだろう?)

英検1級取得を目指している人には申し訳ありませんが、
英語圏の大学で大学院博士号くらい取るのを考えてる人くらいにしか役に立ちません。
(それでも大学院博士号なんていう専門性の高い分野で使われる英検1級の知識はほんの一部だと思います。)


最近Facebookのフィードを読んでいるとある友人がこんな記事をシェアしてました。
京大学長『京大生よ、日本語で考えよ、英語はツールでしかない』

ある意味で正論だと思います。
私たちはしょせん日本人という事実にも符合します。

ネイティブと同じように英語を扱おうとするなんて夢のまた夢。
英語は情報を得たり、かんたんな話で外国人とコミュニケーションを取るためのツール。
それ以上でも、それ以下でもない。

でも、と思います。
京大の学長なんていうお偉い方に反論するわけではありませんが、
彼が言っているツールの英語はあくまでもツールとしての英語です。
昨今騒がれている「グローバリゼーション」といったものとは
ほとんど関係がないような気さえします。

なので京大生でない人が「そっか!英語はツールとして考えなくちゃ!」
と考えてしまうのは早計だと思います。

京大のような学術機関に必要なのは高度な論理能力であったり、
目前の問題をどのように解くべきかのクリエイティブネスです。

いくらグローバル人材を育てようともその根幹は変わりません。
京大の学長が言いたいのは「学術英語」を極めよ、ということなのではないでしょうか。


ところで僕は「英語はツール!」と言いたかったタチの人間だったのですが、
どうしても自分が妥協しているようにしか聞こえませんでした。
自分はしょせん日本人、も同じですが。


そこで高度なレベルで英語を扱えることには大きなメリットがあるのか、
また自分はどの英語を学ぶべきか?を考えました。

「受験英語」「ビジネス英語」「学術英語」「日常英語」
いろんな英語がありますが、結局ネイティブならどのカテゴリでも、
完璧とは言わないまでもある程度まで網羅しているものじゃないのか?
そんなふうに考えました。

すごく大雑把に書くとこんな感じでしょうか?
もちろん「学術英語」は「ビジネス英語」と重なり合っていたり、
「受験英語」が「学術英語」に重なり合っていたりします。

そもそも、言語に境界なんてありません。
(絵まで描いておいてこんなこと言ってすいません。)

とにかく!
ネイティブなら日常的に「読む」「聞く」「話す」「書く」ということに問題はありません。
そして人によってビジネス英語に特化していたり学術英語に特化していたりします。

たとえば学術英語で高いレベルで英語を扱えることは、
あなたが学者であれば非常に有利だと思います。

だけど学術英語はしばしば「読む」に焦点を当てます。
そのため非常に多くの単語は知っているが、
口が話すのに慣れていない、耳が聞くのに慣れていないといった事態が起きます。

でも問題はありません。
英文の論文を読んで理解できて、世界的な学会の動きがわかればいいんです。
京大生に必要なのはそういった英語をツールとして得る情報的本質だけです。


でも私たちのほとんどは京大生ではありません。
ならどういった英語を学ぶべきでしょうか?

一番てっとり早いのは自分の目的をはっきりさせることです。

「学術英語」を極めたいなら「日常英語」はそれほど必要ない。
「ビジネス英語」を学ぶのは大事だけど、コミュニケーションも重要なので、
「日常英語」も学んでおかないといけない。


自分にいまなにが必要なのか?
「読む」なのか?
「聞く」なのか?
「話す」なのか?
「書く」なのか?

それがわからなければいつまでも同じところをくるくる回ることになります。


さて、英検1級まで取得して「受験英語」を極めた僕ですが、
この「日常英語」の分野に関しては非常に経験の乏しい人間でした。
(やっていたのは「受験英語」を極端に身につけることでした。明後日の方向に英語が身についていたんですね。図の受験英語の右をずっと伸ばしてました。笑)

外国人を前にすると文法的に正しい英語を話しているのか気になる。
自分の言っていることがきちんと意味を成しているのか気になる。
まるでレッド・カーペットの上を歩いているみたいに自分の英語を気にしてました。

さっさと先に進むために言いますが、
まわりの人はたいていあなたの英語なんて気にしていません。
とくに外国人は。

日本人にはとくにあなたの英語を笑ったりする人がいるでしょう。

もしそんな人がいたら、
その人はきっと傲慢な心のせいでさみしい人生を送っている人です。
そういった人とは仲良くならないようにしましょう。

さっきも言いましたが、
英語を上達させるのに大切なのは素直であることです。


英語をまちがえたからって、
発音が変だからって、
恥に感じることはありません。
上達のための大切なステップです。


「ネイティブみたいになりたい!」と切望していた僕ですが、
大事なのは英語を自分の生活の中心に置くことでした。

ネイティブがそうするように本を「読み」、
ネイティブがそうするように洋画を「聞き」、
ネイティブがそうするように外国人の友人と「話し」、
ネイティブがそうするように英語で日誌を「書く」。

そうするために正統な方法というものはありません。

スピード・ラーニングやそういった類いの教材もある程度までは役に立ちますが、
生きている言語を修得するためにはやはり生身の外国人とやりとりして、
本物の感覚を身につけなければなりません。

生身の外国人は確保した、
でも本物の感覚を身につけるためにどうすればいいだろう?

「外国人」になりきりましょう。

私はアメリカ人。
僕はイギリス人。
あるいはオーストラリア人。

そう思い込むことが大切です。


なぜか!
脳を「英語脳」にするためです。


…「英語脳」って?


長くなったので今回はここまで。



Genesis Cafe
11月4日(水)に大阪・福島のグロリア・ジーンズ堂島クロスウォーク店で、
使いやすい表現を学んだり外国人の友達がつくれたりするGenesis Cafeを開催します!
「受験英語」から脱出して「英語脳」をつくるための重要な機会になります!
ぜひご参加ください!

くわしくはGenesis Cafeサイトへ。


2015年9月24日木曜日

September: the Beginning of Fall




こんにちは。GICスタッフのYumaです。
秋分の日も終わってそろそろ秋が本格化してきました。

7月にあった、Genesis Collegeの最初のイベントであるTOEFL Speaking Seminar以降、毎月Genesis Cafeがはじまり、なにかとバタバタとしている日々がつづいています。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
Genesis CafeのスタッフはBrentとMarciaだけで、
それ以外の外国人ファシリテーターは毎月どこかから探してみつけてきます。

つまり前回9月2日にあったGenesis Cafeでは
その2人以外のほかの4人(カメラ・スタッフを合わせれば5人)は、
Genesis Collegeのスタッフではありませんでした。

毎月べつのファシリテーターをみつけてこなければいけないので、
じつは結構大変だったりします。


以前アンケートで毎月2回、イベントを開催してほしいという意見をちょうだいしました。
Genesis側としてはもちろんやりたいのはやりたいです。

しかしすべての外国人ファシリテーターが無償で、
しかも交通費も出ないし、このイベントのために時間を割かなければいけないし、
という条件なので、毎月2回できるほど喜んでやってくれる外国人をみつけるのはなかなか厳しいという状況です。

でも裏をかえせば来てくれる外国人はみんな、
無償でも日本人の人たちとつながりたい!という熱い思いを持った人ばかりです。

なのでぜひぜひみなさんもっともっと彼らと仲良くなってあげてください^^


毎月Genesis Cafeが終わると僕たちがはじめる最初の仕事…
それがファシリテーターを探すこと(to recruit facilitators)です。

ちなみに「ファシリテーター」とは?

facilitate [fəˈsɪlɪteɪt] verb
make (an action or process) easy or easier.

動詞で言うと「facilitate」、意味は「(ある行動やプロセス)をより容易にすること」とあります。
「facilitator」とはそれをする人ということなので、つまり、

話題を促したり、はっきりとしない事柄を明らかにして、
会話をうまく運ぶようにする人のことです。

外国人ファシリテーターはあくまでも場を盛り上げる人であって、
先生でも講師でもないという意味が込められているんですねぇ。


ちなみに少し話題が逸れますが、
日本語で「先生!」と呼ぶように英語で「Teacher!」と呼ぶと笑われます。
僕が一度そう言ったときは「Student?」とにやにやして言われました。
「Mr./Ms.○○」というように名前で呼びかけるのが普通なようです。


さて、来月のGenesis Cafeではいま、
どうにかして前回より多くの外国人ファシリテーターを確保しようとしています。

ある程度回を重ねたあとは以前にもお願いしたことのある
外国人ファシリテーターにも再度依頼してみようと考えていますので、
もしお気に入りのファシリテーターがいたら教えてください^^

もしかすると2ヶ月連続で参加してくれる、ということも全然あり得ます。


それでは最後にファシリテーターの紹介をして終わりにしたいと思います。
今回はGenesisスタッフからBrentとMarciaの2人。


ブレント・コオイ(Brent Kooi)

ブレントはHuntington University、California Baptist University、Belhaven Universityをふくむ、様々なアメリカの大学においてStudent Developmentで働いた経験があります。その後、2年半ほど、東京エリアにおいて宣教師として奉仕しました。ブレントは、アイオワの小さな町、インウッド出身です。彼は、特に若者にイエスキリストの福音を伝えたいという強い想いがあります。

Genesis Collegeでは副学長を務めており、実際にGenesis Collegeがはじまったときには学生生活管理を担当することになっています。

インタビュー
Q.子供のときのいい思い出はなんですか?

毎年、夏休みに1~2週間、家族でキャンプに行きました。特に、ワシントン州へ兄弟の結婚式のために、キャンプ旅行に出かけたことが思い出に残っています。ブラックヒルズ、モンタナ、ブリティッシュコロンビアなどでもキャンプをしました。そして、初めて乗馬も楽しみました。

Q.いままででもっとも感銘を受けたアドバイスはなんですか?

もし、心配するなら、始めから祈るな。しかし、祈るなら、心配しないで(委ねよ。)

Q.好きな科目はなんですか?

歴史、心理学

Q.教えることについてなにをもっともたのしんでいますか?

私は、学生と交流することが大好きです。自分自身の人生を分かち合うこと、また、学生の経験や彼らの人生について学ぶことが大好きです。

 Q.Genesis College で奉仕することについてなにがもっともたのしみですか?

大学生と時間を過ごすことが大好きです。なぜなら、多くの若者は、物事に対して心配することよりも楽観的で、楽しむ傾向があるからです。

Q.余暇はどんなことをして過ごしますか?

ラケットボール



マーシャ・江崎(Marcia Esaki)

マーシャはPurdue Universityで学位を取り、その後The College of New Jerseyで教職修士を取りました。仕事では教育関係の仕事に携わり、やがて江崎公二さん(Genesisスタッフ)と結婚しました。

Genesis Collegeでは現在Genesis Cafeの運営全般を取り仕切っており、つねに参加者だけでなくファシリテーターも合わせた全員が楽しめるようなイベントつくりに心を砕いています。

そして実はアメリカで数冊の料理雑誌を出版したり料理番組に出演したりするほどの料理家でもあります。

インタビュー
Q.子供のときのいい思い出はなんですか?

夏の休暇中、マサチューセツ州にある従兄弟の農園で乗馬をしたこと。

Q.いままででもっとも感銘を受けたアドバイスはなんですか?

人生の方向転換に関わる決断を行なう場合、忘れてはならない三つのこと。1.自分がやろうと思っていることへの情熱、2.それを行なう能力、3.やれる機会が与えられているか。

Q.好きな科目はなんですか?

創作・執筆、心理学、カリキュラム・教授学

Q.教えることについてなにをもっともたのしんでいますか?

教師と生徒が創造的な共同作業を行なう。学ぶ方法は数多くあり、クラスの目的を達成するやり方も幾通りかある。その過程を自由にすればより一層楽しく、興味深いものとなる。

Q.Genesis College で奉仕することについてなにがもっともたのしみですか?

クラスの授業を通して日本の若者が信頼を基に無理なく自然に関係を築いていけることを楽しみにしています。

Q.余暇はどんなことをして過ごしますか?

食べ物―新しい食材やレストランを見つける。旅行、写真、水泳。



質問や感想などあればお気軽にコメントしてください^^

2015年7月30日木曜日

イベント終了の報告と次回のご案内





こんにちは。GICスタッフのYumaです。

先週Genesis Collegeがはじめて行なったイベント「TOEFL Speaking Seminar」と「Genesis Cafe」が無事終了しました。

TSSは大学生にとってはテスト期間中、また社会人の人たちには参加しにくい日時だったため、参加者は多くありませんでしたが、参加していただいたみなさんには大変満足していただけました。

「ネイティブによる海外の大学のような本格的な授業が革新的だった!」
「これを機会にもっと英語を勉強しなければ、と思った」
など、ほかの英会話学校にはないGenesis Collegeの強み、またそこから見えてくる本当に必要とされている英語がどんなものかを参加者のみなさんには学んでいただけたと思います。

Genesis Collegeではたんなる英語教育ではなく、確実に身につく英語、そしてそれをとおして引き出される個性を大事にしています。
ただたんに英語を勉強しているだけでは決して備えることができない、世界で求められている能力。Genesis Collegeはあなたのなかに眠っているそんな能力を英語をとおして引き出します。

次回のセミナーは2016年3月に予定しています。


一方でGenesis Cafeは多くの人に参加してもらい、大盛況のうちに終わりました。
多くの方が仕事終わりに来られ、ネイティブのアドバイスを受けながら使えるフレーズを学びました。

とくにみなさんに気に入ってもらえたのは、ただ英語を話すために足を運ぶカフェ・スタイルではなく、そこにレクチャー・スタイルの要素を少し盛りこむことで確実になにかを学んでいただける点でした。

Genesis Cafeは月一度しか開催されませんが、英会話クラブや英会話カフェといった場所は大阪にはたくさんあります。そこでGenesis Cafeで学んだフレーズを使っていただくことで、確実に英語力を伸ばすことができます。

またGenesis Cafeは毎月さまざまな場所から外国人たちの協力を得て、英語を学びたい人と日本人と出会いたい人とを結ぶプラットフォームのような場所を目指しています。
ここで仲良くなった外国人の友だちとGenesis Cafe以外でも会って交流をしていただければ、あなたの英語力が伸びることはまちがいありません。

次回のGenesis Cafeは9月2日(水)20時からGloria Jean's Coffee堂島クロスウォーク店で予定しています。



Genesis Collegeはみなさんが日本にいながらも、世界を舞台に活躍するための英語を身につけることできると信じています。
そのためにはみなさんの個人的な努力だけでなく、私たちのような外国人との出会いをコーディネートする者が必要であり、重要であると考えています。

いつか日本が英語に弱い国と呼ばなくなるように、私たちは日々精進して素晴らしい環境提供に努めてまいります。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。





 





2015年7月15日水曜日

Genesis Cafe






こんにちは。Genesis CollegeスタッフのYumaです。

今日は来週おこなわれるGenesis Cafeについて少しご説明させていただこうと思います。

本日のポイント
  • 英語を話す機会をつくる!
  • リラックス×真剣で着実に学ぶ!

1.英語を話す機会をつくる!
まわりの日本人たちの意見で僕はよくこんなことを耳にします。
「一所懸命勉強しているけど英語を話す機会がない」
「せっかく留学したけれど、帰ってきてから英語をまったく使わなくなった」
「本当に使える英語が学びたい」

たしかに日本では英語を話す機会があまりありません。
あったとしても外国人旅行客と偶然話すことになったときくらいだと思います。

英会話教室に高いお金を払って通っているけど、いまいち英会話力がのびているように感じられない…

それもそのはず。
1週間に1時間にも満たない時間しか英語を話さないで、英会話力がのびるはずがありません。

英会話教室は質こそいいものですが、実際にその利点を使いこなせる人はおそらくほとんどいないと思います。
僕も留学後にとある英会話学校にしばらく通っていましたが、学ぶことよりも費用からくる苦痛のほうが大きかったです。


でも、逆に考えれば、英語を話す機会さえあればわざわざ月謝を払って英会話に行かなくてもいいということです。

英語を話す機会。
…それは自分自身でつくりだすことができるものです。

想像してみてください。
友だちをつりたいなら、街に行って気の合いそうな人に話しかければいいんです。
相手がよければかんたんに友だちになることができます。

でもほとんどの人はそうしません。
なぜそういったことをしないのでしょう?

それが普通じゃないからです。
そしてそれは勇気と大胆さがあれば壊せる理由です。

外国人の友だちをつくりたいなら、街で見かけた外国人と友だちになればいいんです。
おそらく日本人と友だちになるより垣根が低いと思います。なぜなら、日本に来る外国人はたいてい日本人の友だちがほしいと思っているし、そのようなかたちで友だち関係がはじまることも決して珍しくないからです。


Genesis Cafeでは参加者はファシリテーターの外国人と個人的な友人になることを奨励しています。ファシリテーターとFacebook友だちになってもかまいませんし、LINEの連絡先を交換しても問題ありません。
せっかくネイティブ・スピーカーと出会ったのですから、この機会を存分に活かしましょう!

これでもう月1でしか会えなかったり、特定の場所でしか会えなかったり、お金を払って築かれる交友関係なんていう悲しい思いはしなくて済みます!

英会話カフェや英会話クラブのように英語にのみ重要が置かれている場所とちがって、Genesis Cafeは主に人間関係の面から英語を学んでいく場所です。
Genesis Cafeで学んだことをつぎの一ヶ月まで連絡先を交換したファシリテーターたちにどんどんぶつけてください。そうすれば、あなたの英語力にも磨きがかかることはまちがいありません。


2.リラックス×真剣で着実に学ぶ!
英語カフェや英会話クラブといったところでは、たしかに英語を話す機会はあります。
ですが英語カフェでは本当にただカジュアルに会話を交わすだけで学んだことをうまく生かせなかったり使えなかったりすることがたくさんありますし、英会話クラブではたいてい日本人しかいないので外国人にも通用する英語を学べないのが現状です。

リラックスをして英語を話すのはいいけれど、結局なにも学べていない。
真剣に学びたいけど、結局日本人のあいだだけで通用する英語しか話せていない。

そんな人のためにGenesis Cafeでは各ファシリテーターがもつ話し方の“コツ”を学び、それを実際に使って学んでいく実用的で実践的な英語学習を提供しています。

たとえば「figure out」という語句。
Genesis Cafeではその意味を学ぶだけではなく、実際にネイティブ・スピーカーはどんな使い方をするのかということをファシリテーターがはじめに示します。それから自分でも実際にその語句を使って話をします。

きちんとした使い方をしていなければ、もちろんその場でアドバイスを受けることができます。

そのようにして文字として書かれた「figure out」という語彙の意味だけではなく、口語的な意味合いも学ぶことができ、それによって実際に会話のなかで使いこなすことができるようになります。

これがGenesis Cafeの特徴のひとつです。


Genesis Cafeが終わるときには、あなたは来たときよりも着実になにかを学んで帰ることができるでしょう。


また、ほかの人たちが話しているときは自分の知らない語句などもどんどんメモしていってください。Genesis Cafeではえんぴつや用紙が用意されていますが、そこにはおたがい切磋琢磨して成長してほしいという願いが込められています。

英語を学ぶことはコミュニケーション能力の一環です。
まわりの人たちを敵と見なして自分ひとりになってしまったのでは能力をのばすことはできません。

ファシリテーターとだけではなくそこにいる一人ひとりの人たちとつながること。Genesis Cafeではそういった友好関係を築くことを奨励しています。



ちょうど一週間後の7月22日(水)20時から、福島のグロリア・ジーンズ堂島クロスウォーク店で第一回Genesisi Cafeがおこなわれます。

英語をもっと話せるようになりたい!という熱意がある人であればだれでも参加していただけます。
詳細:http://genesisinternationalcollegeosaka.blogspot.jp/p/blog-page.html


どうぞお気軽お越しください!




2015年7月8日水曜日

英語を話すために知っておくべきいくつかのこと




こんにちは。GICスタッフのYumaです。

前回まではグローバリゼーションから英語の必要性を見ていきましたが、今回は英語を実際に話す上で大切なことについて書きます。

英語を勉強されている方のレベルはさまざまだと思います。
もちろんレベルによって勉強の仕方というのはさまざまですが、どのレベルでも一貫して大事なことというのがあります。
今回はそのことについて書いていきます。


本日のポイント
  • 毎日英語にふれること
  • わからなければ恥ずかしがらずに聞く
  • ネイティブはミスしても全然気にしてない
  • 気づかいより、少しあつかましいくらいがちょうどいい
  • 相手に興味をもつこと・自分のことを話すこと
  • ローマは一日にして成らず

1.毎日英語にふれること
単純なことですが、英語に接する時間が多くなければ英語は上達しません。
新しい言語を習得するということは、脳になじまない新しい体系をを無理やり上書きすることです。 コンスタントに、何度も何度も上書きしなければ、脳はすぐに忘れてしまいます。

「毎日英語にふれる」なんてできない。時間がない。
そういう人がいるかもしれません。

「毎日英語にふれる」=単語を覚える、文法を勉強する
というふうに考えていませんか?

英語にふれるということは、勉学の分野だけにかぎりません。

僕の友人に英語がペラペラの女性がいます。彼女は生粋の日本人で、長期留学したことがありません。数週間のアメリカでの滞在経験と学校で学んだことがすべてです。学校で特別な授業を受けたというのでもありません。

それにもかかわらず、英検1級、TOEIC900点の僕より流暢に話せます。
正直なところ、はじめはとても悔しかったです。(笑)

でもよくよく考えれば彼女が話せて僕が話せないのは当たり前だと思いました。

たしかに僕は彼女より英語の「知識」はあります。
 しかし「話す」練習はほとんどしてきませんでした。TOEICにはスピーキング・セクションはありませんし、英検の面接は発音重視で、簡単な会話ができれば合格できます。意見の主張や提案することに重きを置いているTOEFLほどむずかしいものではありません。

一方で彼女は大好きなアメリカのドラマを字幕なしでひたすら見つづけ、そこから英語の聞き取り方や話し方の多くを学びました。
彼女の英語でのコミュニケーション・レベルは僕より上で、ほとんどネイティブ・レベルです。

彼女はよくドラマで演じている役者のセリフを真似ています。そしてそれを「自分のもの」にしています。
アメリカ人かぶりと思う人もいるかもしれません。ですが、僕は彼女がもっとも効果的な方法で英語の話し方を学んだのだと思います。その点で、大回りをしている僕は彼女のことをとても尊敬しています。

このように、好きやあこがれからでもそれをひたすら追求しつづければ立派な英語の勉強になります。
つらくてしんどい単語や文法を勉強する時間も大切ですが、たのしく毎日でもふれたくなるような英語を学ぶこともそれと同等に大切なことです。

わからなくても海外ドラマを字幕なしで毎日見つづける。そしてセリフを真似しまくる。
これはリスニング力や発音の学習になります。
この学習は単語や文法の勉強ではできない学習です。


2.わからなければ恥ずかしがらずに聞く
僕がこれまで見てきたなかで、日本人がする大きな失敗のひとつは「恥ずかしがる」ことです。

ミスをするのは恥ずかしいことです。
正しい文法で話せているかとか、この単語の発音がきちんとできているか、発音のせいで伝わっていないんじゃないか、そういったことを気にしている人は多いと思います。

その失敗をおそれる人たちがするもっとも残念なことは、結局日本語を話すことに妥協してしまうことです。
僕はバンクーバーに留学中、そんな日本人たちをたくさん見てきました。(もちろん日本人だけではありませんが)

ヨーロッパ、南米の人たちは比較的流暢に英語を話せる人が多く、そういった人たちの前では日本人の人たちはとくに自分たちの話す英語を気にしているようでした。

まず現状を理解しましょう。

ヨーロッパ、南米の人たちの母国語はアルファベットでできていますし、言語体系(文法の配置や単語)もよく似ています。私たち日本人が漢字を見慣れていて中国語を容易に理解できるのと同じように、英語を理解できるんです。

彼らと私たちのあいだにはもともと大きな隔たりがあることを理解しましょう。
ヨーロッパ、南米の人たちが英語を上手に操れるのは結構当たり前なことなんです。

反対に言えば、日本人にとって英語を学ぶのはとても困難なことであるということです。
しかしこの不利を言い訳にしてしまうことは簡単です。まずはこの不利があることをきちんと理解し、その分の努力が必要であることを認識しておきましょう。


もうひとつ日本人が文化の面で損をしているのが、「控えめ」であるところです。
謙虚であることは美徳と言われています。意見を控えること、主張しないことは日本では波風を立てないこととして重要なことと考えられる傾向にあります。

しかし欧米人はあなたの「控えめ」をネガティブあるいは主張性のなさと見なします。
あなたが英語を理解していないことで黙っていても、だれも気づかってくれません。相手はあなたがわかっていないということを、わかっていません。

わからないなら「わからない」と言うこと。これが英語を学ぶ上で重要なことであり、日本人が日本人的感覚を壊すために知っておくべきことです。

英語を学ぶことは日本人的感覚を壊し、新しい自分に生まれ変わる道でもあります。


はじめは恥ずかしいかもしれません。
恥ずかしくなって、控えめになってしまうかもしれません。

ですがそこで英語を話す機会を見逃せば、成長する機会も見逃してしまいます。
目の前にある機会をしっかりとものにするために、きちんと準備をしておきましょう。

What did you say?
Can you say that again?
など、わからなかったときのためのフレーズをひとつ用意しておきましょう。そういったフレーズをくりかえし使うことが大切です。もっとほかの表現で言えるようになりたい、いろんな表現を使って格好良く英語を話したい、と思ってもそれは後回しにしましょう。まずは場面場面で使うフレーズを用意して何度も使い、それを「自分のもの」にすることが大切です。

それを積み重ねてじゅうぶん日常会話ができるようになれば、使っているフレーズ以外にもみんなが使っているフレーズを知れるようになり、自然と表現力や語彙が増えていきます。


僕のまわりにいるアメリカ人たちはナチュラルな会話をしますので、当然イディオムや僕がいままで聞いたこともないような表現をすることもあります。
そのたびに「どういう意味?」と聞くと、よろこんで教えてくれます。だれも僕が聞くことでいやな思いをする人はいません。


聞き返すこと、意見を言うことはまったく失礼なことではないことを知っておきましょう。

「恥ずかしい」「控える」といった感覚は日本人にとくに顕著な性質です。
それらが「英語を学ぶ」という至上の目的をさまたげるものであるなら、私たちはすすんでそういった性格を変えていかなければなりません。


3.ネイティブはミスしても全然気にしてない
ネイティブ・スピーカーと話していて思うことですが、彼らは僕の英語がぐちゃぐちゃなのを全然気にしていません。(英検1級までとっていて日常会話にもまだ支障があるなんて恥ずかしい話ですが)
というか、彼らの英語もけっこうめちゃくちゃだったりします。

彼らは僕がどんな単語や文法を使っているかにはまったく配慮せず、「なにを言おうとしているのか」を必死に理解しようとしてくれます。

私たちが、外国人が日本語を話しているのを聞いているのを想像してみてほしいのですが、外国人の日本語を聞いて、つたないし単語ばかりだけどなんとなく言いたいことがわかるのは、私たちが相手と同じように理解しようと努めているからです。

日本人のあいだでも、だれも完璧な言語で日本語を話していません。ひどいときには自分がなにを言っているのかわからなくなるし、紙におこせばまったく筋の通らない文章になることもしばしばあります。(一度友だちと話している自分の日本語に気を払ってみてください)

それでも会話が成立するのは、その場の雰囲気であったり、顔の表情、感情といったことが言語と同様に重要だからです。

これは英語でも同じです。
私たちは「言語の正確性」で会話をしているのではありません。

日本語と英語のちがいをひとつ指摘するとすれば、英語はより率直でより明確な表現をすることくらいです。
意見を言うときもまずは結論から。そこから自分がなぜそう思うのかを組み立てていく話し方をします。

意見は不和を引き起こす要因ではありません。意思疎通の欠落が不和を引き起こします。

日本語や日本の文化には曖昧なところがたくさんあります。意思疎通をおこなわなくても言外の事柄で成立するコミュニケーションがとても多いです。

しかし欧米は個人主義です。それぞれがちがう考え方や嗜好をもっているのは当然で、だからこそ意見をすり合わせて調和を生み出そうとします。
そういった人たちはは私たちが言わないでいることも、遠慮なく聞いてきます。そういったことをきちんと言葉で話せるように練習しておくことも大切です。


4.気づかいより少しあつかましいくらいがちょうどいい
以上のことを考えてもらうと、もちろん個人差はありますが欧米人には控えめでいるよりちょっとあつかましいくらいがいいのだと思います。

英語を話す練習をしたいからカフェに誘いたいけど、いそがしそうだからなぁ…といったことを考える前に連絡をしましょう。都合が合わないときは率直に言ってくれます。
何度も都合が合わないときも「もしかして英語の話し相手になるのがいやなのかなぁ…」と考える前に「英語の練習はもう厳しいかなぁ?」と率直に相談してみましょう。
おたがいに意見を言い合って、ベストな方法で関係を築けば、英語を話す機会を増やすこともできます。

「空気読めよ」とか「こう言ってるんだから気をつかってほしいな」というのは日本人的感覚です。 


ここで英語を話す練習をするときのアドバイスとして、英語を話す相手は何人もいるほうがいいです。
ひとりの都合が合わなくてもべつの人が相手をしてくれれば定期的に英語を話すことができるようになり、より建設的な学習ができます。

なおかつひとりの負担が減ります。
ちょっとあつかましいくらいがちょうどいいと書きましたが、もちろんひとりにずっとあつかましくしていたらきらわれるので注意してください。


5.相手に興味をもつこと・自分のことを話すこと
話す相手がいても、話すことがなければうまく会話ができませんよね。
お金を払って話を聞いてくれる英会話講師ならなんとか会話をつなごうとしてくれますが、一般の場で出会う外国人がかならずしもそんな人たちであるとはかぎりません。

英語はすでに日本という国の外にあるものです。
英語をとおして日本の外にあるものと接触していると考えてください。そこにはあなたが興味をもつことができるものがあれば、興味をもつことができないこともあります。

さまざまなことに興味をもってください。
あなたが興味をもてないことはほとんどの場合、あなたが興味をもとうとしないことが原因です。また、自分のことや自分の国にしか興味をもてない人が本当の意味で英語を学ぶことはとてもむずかしいことを知っておいてください。反対に言えば、興味をもてばもつほど、英語を学ぶ意欲にも拍車がかかります。

また、自分のことを話すこともとても大切です。
自分が過ごしている環境、場所、学校や職場、友人関係、趣味、自分の国のこと、それらを事前に英文に書いて話してみるのもとても効果的なことですし、話題づくりにもなります。

受身だけでは英語は上手に学べません。
どんどん積極的に自分から発言して、英語を外に出していきましょう。スピーキングやライティングといったスキルには、そういった練習がとても大切です。


6.ローマは一日にして成らず
ここまでたくさん厳しいことを書いてきましたが、これが現実です。そしてもっとも厳しいことを書きますが、新しい言語を学ぶことは、長く険しい道のりを歩くことに似ています。
何度も挫折したくなりますし、もう目にしたくもないほど英語がきらいになることだってあります。

それでも多くの苦難を乗り越えていくことで、英語は身につけられます。

僕は中学生から英語に興味をもち、英語の先生になりたいと思うほど英語が好きになりました。
高校は英語科のある学校に進み、悪くない成績を修めていました。ALTもいたので普通の人よりは英語ができる自信もありました。

大学に入ると三年間英語をやめましたが、その後一年休学して留学することになりました。
そこで出会ったさまざまな国からやってきた人たち、彼らの能力、人間性、そういったものを見て、自分はとてもちいさな人間だったことを思い知りました。

留学をきっかけに必死に勉強をするようになり、たくさんの英語の勉強方法を試しました。
自分が英語の勉強方法について疑問をもつようになったのは、英検一級を取得したときです。僕は英検一級さえ取ることができれば、流暢に話せると思っていたし、すらすらと英文を読むことができると思っていました。ネイティブとのコミュニケーションにもなんの支障もないだろうと思っていました。

ですがそういうふうにはなれませんでした。
結局資格は資格でしかありません。資格はたしかにあなたの能力を示すものではありますが、とても偏った領域の能力しか示しません。

ここまでがんばったにもかかわらず、自分はネイティブとなにがちがうのか?
その後さまざまな人たちと出会う機会がありました。

香港に住んでいたときはアメリカやイギリス、カナダ育ちの香港人がたくさんいました。彼らの第一言語は英語で、香港で暮らすのにまったく支障がないくらいには広東語を話せました。彼らは自然とそういう言語の能力を身につけていました。

僕はそこで、僕がずっと勉強していたのは日本の学校で教えられた「死んだ英語」なのだということを痛感しました。英語を通じて人間に焦点を当てているのではなく、英語に焦点を当てた勉強でしかありませんでした。

学校の英語だけでなく、日本人が知っている英語のほとんどはそんな英語です。「死んだ英語」が英語なのだと考える思考回路が自然とできあがってしまっているのです。

その後コミュニケーションを重視し、自分のなかのどういった性格や考え方が支障になっているかを考え、それを改善していくことで、英語をより効率的に学べることを知りました。

英語は知識ではなく、どちらかというと技術です。
知識ではサッカーができないように、知識では英語を学べません。


もちろん、目的によっては英語を話すことが重要でないという人もいるかもしれません。
それでも知っておいてほしいのは、英語を話す感覚や英語でのコミュケーションの感覚を覚えることによって、小説や英文記事も読みやすくなるということです。なぜならそこにはかならず人間の心があり、意図があるからです。

スピーキング、リスニング、ライティング、リーディング、どれかだけに偏ったスキルはうまくかみ合っていない歯車のようなものです。


たくさんえらそうなことを書いてきましたが、そういう僕も英語を学びつづけているひとりです。みなさんと同じ立場にあります。
役に立てば、と思って今回の記事を書いてみました。


最後に、これは英語には関係ないかもしれませんが、英語を話すために知っておくべきいくつかのことで僕がもっとも大切だと思うことをお伝えします。

それは…
「自分はなにも知らない」ということを知っておくことです。
哲学者ソクラテスの「無知の知」ですね。

一見知っていると思っていることでも、人間、意外と知らないものです。
「それはもう知っている」と決めつけないで、もっと奥深くまで知ろうとしてみてください。きっと自分がいかに知らないかを知ることになって、驚かされると思います。

あなたは家族のことをどれだけ知っていますか?
あるいは仲のいい友だちのことをどれだけ知っていますか?
彼らがあなたといっしょに時間を過ごしていないあいだに、どんなことを考え、なにをしているか想像できますか?

あるいはあなたは世界のことを、テレビやパソコンの画面で見る以外にどれだけ知っていますか?
世界にあるもの、世界で起こっていることを肌で感じたことがありますか?
世の中は神秘的で、魅力的で、興味深いことばかりであふれています。 もしそういったものに心をうばわれないなら、あなたの心がかたくなっている可能性を考えましょう。

英語はあなたが新しい自分を「ひらく」ためのステップのひとつです。
ちかい将来Genesis Collegeがそのお手伝いをさせていただく機会があれば、それ以上の歓びはほかにありません。


告知になりますが、2015年7月22日(水)午後8時から10時まで大阪・福島にあるGloria Jean's堂島クロスウォーク店でGenesis Cafeというイベントを開催します。
ネイティブ・スピーカーから使えるフレーズを学びながら英語を話す練習をするいい機会になると思いますので、もしよろしければご参加ください^^
 http://genesisinternationalcollegeosaka.blogspot.jp/p/blog-page.html




2015年7月7日火曜日

日本に待っている現実





こんにちは。GICスタッフのYumaです。

前回は「グローバリゼーションの影響力」というところから、日本ではどういった場面で英語が必要とされているかを見ていきました。
前回の記事「グローバリゼーションの影響力」
http://genesisinternationalcollegeosaka.blogspot.jp/2015/07/blog-post.html

正直なところ、日本人が学ぶべき英語はとても限定されていて、海外に出るつもりがないかぎりは限定的な英語しか必要がありません。

それでは日本では今後も、たとえばインドやシンガポールで普及しているようなレベルでは英語は話されることはないのでしょうか。

現在のところは日本人が日本国内で英語だけで生活する機会はありません。
ですが、現状のままずっと状況が変わらないということもありません。


現在、世界ではいくつかの大きな動きがおこっています。
ピケティの著作「21世紀の資本」にも書かれている富裕層とそうでない層との経済格差、ISISをはじめとする残虐なテロ事件、ロシアや中国などアメリカ中心の世界に反発する動き、ギリシャの財政問題、などなど。
これらはすべて日本にいれば関係ないようにみえますが、確実に日本にも影響する事柄です。

貿易依存、海外観光業の萎縮等、なぜ影響するようになったかを取り上げればまったくべつの記事ができてしまうのでここでは取り上げませんが、これほどまでに世界と日本が密接に連動するようになったのも近年のことです。
日本はもうすでに世界のほかの国々に依存しなければ生きていけない国になってきています。


もしこのまま日本の人たちが海外で経験を積むことをせず、自国の便利でらくな暮らしに甘えつづけているとどうなるでしょうか。

今回は日本で起こっているいくつかの出来事について書き、そこから考えられる結末を予想してみたいと思います。

今回のポイント
  •  高齢社会
  •  移民問題 
  •  優秀な人材の流入・流出

1.少子高齢化社会
英語に焦点を当てたブログですので、こまかい点は省きますが日本は「超高齢社会」と呼ばれています。(2014年総務省発表データ)
データによれば、人口の25%以上がすでに65歳のお年寄りであり、その比率は増加の一方で2035年には3人に1人が高齢者になります。一方で出生率は下がり、若者の人口比率はどんどん下がっています。(参考:Wikipedia「高齢化社会」へ

少子高齢化社会が深刻化していくとどんなことが起こるか、想像してみたことはありますか?

若者の人口比率が減るということは若者の需要が減るということです。商品開発やサービスは高齢者に特化したものが増えるようになり、 市場が縮小しお金も落としていかない若者に焦点を当てる企業が減少していきます。

国内経済は自然と衰退していきます。市場は縮小し、iPhoneなども高額になり、若者には手が届かないものになるかもしれません。 需要の質が変わり、最先端技術を享受できなくなることも起こりうるかもしれません。

生き残りをかけた多くの企業は「英語化」して、海外に目を向けていくかもしれません。そのとき優先的に採用される人材は日本という箱のなかで育てられた人材よりも、挑戦をおそれない、海外に免疫のある人材です。

政治は若者よりも高齢者寄りの政策を優先するようになります。民主主義ですので、政治家は多数派に接近していれば確実に多くの票を獲得して当選できます。若者の意見は通りにくくなります。新しい世代のための教育よりも、高齢者たちだけが得する政策が優先されます。これではいつまで経っても日本の将来に明るい兆しは灯りません。


2035年といえばいまから20年後のことで、それほど遠い未来ではありません。
そのとき、あなたはちっとも英語が話せないままでしょうか?それとも、いまから少しでも勉強して英語でコミュニケーションができるスキルを身につけているでしょうか。

政府もまわりの人もだれもあなたを助けてはくれません。
将来を想定し、やがてくる変化に備えておくことは自分自身の責任です。


2.移民問題
他国と比べて日本は驚くほど単一民族国家です。日本国民全員が日本語を話せて当たり前ですし、日本国民全員が日本的文化を共有していることが当たり前です。

しかし人口が減少することで、たとえば人手不足となる介護分野や医療分野などはどのように問題を解消していくでしょうか?政府が取るひとつの手段として看護師にフィリピン人を雇うということが考えられます。

現在日本の移民規制は非常に厳しいものですが、人口減少を考えると規制緩和は避けられません。欠員が生じた分野を他国民で補完するということになれば、生活のあらゆる場面に日本人以外の「日本人」が見られるようになるかもしれません。

中国や韓国、東南アジアからやってきた、日本語を話すことができない「日本人」、日本文化をまったく知らない「日本人」が増えていきます。

そういったグローバル化の影響を受けることで、日本国土では日本語や日本人的感覚というものが通用しなくなっていきます。

英語を話すことが日本語を話すことよりもスタンダードになるかもしれません。
日本は世界でもトップ・レベルの裕福な国です。移民規制がゆるくなるのを心待ちにしている人々は少なくありません。

また、日本は単一民族国家として生きてきたので、スイスほど異国民に対して免疫がありません。在日韓国人にさえ選挙権をあたえることを渋っている日本が、また「共存」という考え方に慣れていない日本人たちが数十年の短いあいだに劇的な変化を迎えるとき、混乱が生じることはおそらく避けられないでしょう。
(参考資料:「地域のあり方と移民問題 日本の将来をスイスから学ぶ」

このポイントでは直接的にグローバリゼーションによる英語の必要性が喚起されることはありませんが、「土壌」は確実に変容していくでしょう。


3.優秀な人材の流入・流出
少子高齢化社会による人口の減少、移民の流入によって日本が大きく変わることはまちがいありません。

とくに生き残りをかけた企業が「英語化」していけば、もはや日本人を採用する必要性がなくなっていきます。もしこのまま日本人が国際的な視野をもって成長しなければ、海外の人材と競争しても勝てる見込みはないでしょう。

また、日本の企業に魅力がなくなっていくことで、国際的な視野を身につけた一部の優秀な日本人の人材は海外に出るほうを選ぶようになります。

もしこういったことが起これば、ピケティが警鐘を鳴らす経済的格差以上の格差が生まれてもおかしくありません。



今回列記した事柄はすべて極端な予想にすぎませんが、少なからずいくつかの問題は必然的に起こります。
それは私たちが過ごした過去20年のあいだに多くの出来事が変わってしまったことからも予想できます。

20年前は携帯電話はほとんど普及していませんでした。インターネットも普及していませんでした。SNSで友人たちとコミュニケーションをとっていませんでした。情報がすばやい速度で交換されるようになり、情報がお金になるようにまでなりました。
変化の速度は時代ごとに加速しています。

いまでは裕福な国だけが良質な教育を受けられるとはかぎらなくなっています。
ハングリー精神をもった発展途上国の人々が、インターネットをつうじて教育を受け、世界を舞台に活躍するようになっています。
 (参考資料:「新時代の教育とは?」TED動画5選


日本の若者はいまのままで、将来突然の世界と競争しなければならなくなったときに太刀打ちできるでしょうか?
らくなほうに傾き、コンフォート・ゾーンから抜け出さないのであれば、我々はいつか世界から取り残されていく運命をたどるしかありません。

「英語が必要だ!」というのは根本的にまちがいではありません。
ですが、「英語」=「あなたを救済する便利な道具」ではありません。

「英語」は手段でしかなく、武器にはなりえません。
武器になるのはあなたの人間性です。

日本人は単一国民国家という環境に囲まれています。
それはいい方向にも、悪い方向にも傾きます。
残念ながら現状は悪い方向に傾いてしまっている人がたくさんいるように思います。


日本人には「英語」というツールと同時に新しい人間性への目覚めが必要です。
Genesis International Collegeはそんな人たちが根本的に、そして大胆に変わってほしいと願っています。そしてそのための教育を提供しようとしています。そしていつか来るまったく新しい時代を切り開く新しい日本人先駆者として、みなさんに世界で活躍してほしいと願っています。

2015年7月1日水曜日

グローバリゼーションの影響力





こんにちは。GICスタッフのYumaです。


いま日本ではどこにいても「英語が必要だ!」と叫ばれています。
大学では英語資格をとることに必死な学生がいれば、昇給を目指してTOEICの勉強をがんばっているサラリーマンもいます。

文部科学省ではいま全大学の入試試験でTOEFLを導入するかどうか審議されてさえいます。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24H1H_U4A021C1EA2000/

ですが、よく考えてほしいのは仕事をのぞいて日常生活で英語が必要になる場面はほとんどないということです。

そうです。
正直言って、いまのところ日本で人生を送るかぎり英語はほとんど必要ありません。

それなのになぜ日本人は「英語が必要だ!」と思うのでしょうか。
メディアの影響や憧れの部分を差し引けば、いったい何人の人が、「自分は○○のために英語を身につけようとしている」と答えられるでしょうか。

ここでは現在日本で生活するなかでどういった場面で英語が必要とされているかを見ていき、そこから日本とグローバリゼーションの関係性について書いていきます。


1.仕事上のコミュニケーション
会社の取引先が外国企業なので英語が必要であったり、社内の公用語が英語で統一されていたり、さまざまな理由で仕事上英語が必要とされています。

しかし日本で英語が必要な会社はまだまだ圧倒的少数派だと思います。
ユニクロや楽天といった企業が社内の公用語を英語にしましたが、共通言語を変えるということは並大抵の作業ではありません。また、こういった企業は主に海外でも事業展開している企業で、公用語を英語に変更することで起こる移行措置にじゅうぶん資金や労力を割くことができます。
英語が生活レベルでまったく浸透していない日本で一般の企業の公用語が英語になることは可能性として低いでしょう。

また国内市場がちいさい韓国とちがってまだまだ経済が国内だけでも回る日本では、海外に事業展開する機会が少なく、仕事上のコミュニケーションで英語が必要とされる場面は多くありません。

さらに英語が必要だとしても、それはとても限定されたビジネス用の英語です。流暢に話せる必要はないし、また映画やニュースで流れる英語がわからなくても当然です。ある程度の会話ができればそれで仕事はできます。

「日常生活で英語を使いたい」というのではないかぎり、上級英語は必要ないのです。

観光業や外国人向けのサービスのために英語が使用される頻度はたしかに増えました。しかし観光客のすべての人が英語を話すわけではありません。大阪ではいま心斎橋やなんば、梅田にはたくさんの中国人観光客が見られます。彼らとコミュニケーションをとるために英語より中国語を話せる人をより優先して採用する企業もあります。

グローバリゼーションとは大きな規模での文化間さらには人種間の交流のことです。
そこに偶然「英語」が利便性が高いというだけでたびたび共通言語としてとりあげられているだけのことなのです。なので「グローバリゼーション」=「英語が必要だ!」というのは明らかに誤解であり、その等式を壊すことによってもう一度なんのために英語を学びたいのかを考えることが重要です。


2.旅行客との会話
あなたはいままで外国人観光客と話す機会をもったことがありますか?
あるいは外国人に道をたずねられたことがありますか?
 
「ちゃんと英語を話せなかった~」
「英語勉強しなあかんわ~」

そう思ったことはありますか?
 「ちゃんと話す」というのはまるでネイティブ同士が会話をするようにペラペラと話すことだと思っていませんか?

もしそうだとしたら、その幻想は捨ててしまったほうがいいでしょう。

言語教育学では、0~10歳までの期間は「言語形成期」と呼ばれています。
このあいだに人間は言語を「体験的に」習得します。そして10歳を過ぎると「体験的に」言語を習得する能力は衰えていき、反対に「理論的に」言語を習得するようになります。
つまり年を重ねれば重ねるほど言語の習得はむずかしくなるといっても過言ではありません。

言語は人間だけがもつ特殊な能力です。
多くの時間を費やし、多くの経験によって習得されるもので、少し勉強したからといって完璧に身につけられるものではありません。

完璧に言語を習得することが言語学習だと考えているのであればいますぐにそう考えていることをやめ、グローバル化する世界ではどういった「英語」が求められているか発見し、それを身につけることが大事です。

これからは観光客だけでなく、留学生や外国人労働者が増えていきます。
国境や国籍を超えて人が交流する機会は日本でもこれからどんどん多くなっていきます。

中学校や高校の英語教育だけではまったく話せない日本人が、こういった世界的変化にどうのように対応していくのでしょうか?
政府の政策では国民が英語を身につけることは絶望的であり、もはや個人レベルでの問題になってきているようにみえます。

私たちはいったいなにを目指して「グローバリゼーション」に対応しようとしているのでしょうか?



このように、必要とされている「英語」は部分的なものであり、かならずしも一般的にイメージされるような英語ではないことがわかります。

日本人が習得すべき「英語」はやがてつぎの時代の主流となるアイデアの核となるものであり、それを身につけることによって「グローバリゼーション」に対応することができるようになります。


日本とグローバリゼーションの関係性をもう少しくわしく分析します。

現在、日本と世界のあいだには深い溝があるように思います。
若者は海外に出なくなり、新しい挑戦をすることをしなくなりました。

ノーベル賞受賞者の白川英樹さんと根岸英一さんのこの懸念を裏づけるように、
過去10年で海外に出る青年は34%減と著しく下降しています。
(参考ブログ「なぜ若者は海外に出て武者修行しないのか」)

日本は国境上開いた国ではありますが、精神的にはほとんど鎖国にちかい状態と言えるかもしれません。
日本がいちばんいい、心地いい、らくだ、というのは事実かもしれません。ですがコンフォート・ゾーンでだらだらと生きていも、人間として成長できません。

日本の頭上ではグローバリゼーションという響きのいい言葉が鳴っていて、メディアはこぞって海外を魅力的に紹介したり、英語の必要性を説いたりします。


個人的な話ですが、僕は数年前バンクーバーに滞在していました。
そしてそこで9ヶ月ほど生活しました。
ホームステイ・ファミリーはフィリピン人、ルームメイトはヨーロッパ人や南米人、 街に出れば白人が大多数で、つぎにアジア人という環境でした。

会話はすべて英語、見るものすべて英語(アラビア語とかもありましたが)、買い物も英語。
そういった環境に身を置けたことはとても貴重な体験でした。

そこでたくさんの日本人と出会いました。
ほんとうにたくさんの日本人たちです。

学校で勉強することをのぞけば、日本語で話すだけで生活できなくもない状況でした。
ですが僕は日本人とつるむことを目的としていませんでしたので、できるだけ日本人といっしょにいないように気をつけました。

一方で多くの日本人たちは日本人とつるんでいました。
僕は日本人としてとても悲しい思いをしたのをよく覚えています。

日本の外に出てきているのに海外の生活を送ろうとせず、日本での暮らしの延長線上で生活を送っているようでした。

それでは日本で暮らしながら英会話学校に通っているのと変わりがありません。
わざわざ海外に出てくる必要などないし、お金を無駄にすることもありません。

なぜ、彼らはそういった生活を送っていたのでしょうか?

いままでやってきたことに慣れていて、らくだからです。
逆に言えば、コンフォート・ゾーンから出たがらなかったのです。

つまり、身に染みついた「日本人性」 を変えたがらなかったのです。


くりかえしになりますが、グローバリゼーションとは大きな規模での文化間さらには人種間の交流のことです。

「交流」が意味するところは「感性の変容」と言いかえることができます。
日本人として「あたりまえ」と考えていることがそうではないことを知り、普通・通常だと考えられている考え方がそうでないことを理解することです。

驚き、認知、苦しみ、そういったものを経て、人ははじめて自分の世界の外のことを受け入れます。
それがグローバリゼーションの醍醐味です。


歴史上、日本人は国を侵略されたことは一度もありませんし、文化を破壊されたこともありません。何千年ものあいだ単一民族として存続し、独自の文明を築いてきました。そうでないほかの国々とくらべて、独特でないわけがありません。

「日本人」というだけで、世界ではすでに偏っているのです。

その偏りは悪いように捉えることができますし、いいように捉えることもできます。
それはその人次第です。

僕の職場はアメリカ人であふれています。 自分のちょっとした意見でも、「日本人はそう考えるんだ!」「やはり日本人らしい考え方だなぁ」と言われることはしょっちゅうあります。

反対に、いまの大多数の日本人は「日本人」であることを必死に守ろうとしている気がします。
たしかにそれはいいことだと思います。ですが、外の文化にふれることによって「日本人」とはなにか?と考えさせられたり、ほんとうに良質で大切なものはなにかとはっきりと知覚させられます。そういうふうにして、「日本人」というものがさらに浮き彫りになってくるのです。

もちろんここまで感じるのにつらく長い月日を過ごしました。英語でもたくさん苦しめられました。
でも、ふりかえってみるとほんとうにとてもいい経験でした。
なによりも自分のことをより深く理解できるようになったと思います。



話が長くなりましたが、まとめるとこうです。
日本と世界のあいだには深い溝がある。

グローバリゼーションがいますぐ致命的に日本に影響することはないし、またそれに関係があるのは日本の外に出ても堂々としていられる一部の人たちだけです。

日本では依然として日本人のやり方だけで物事は進められていくだろうし、世界はいつまで経っても混ざることのない、日本の外にあるものであると認識されつづけるでしょう。


ということは英語を学ばなくても全然いいということでしょうか?
いまのところは、そうかもしれません。

ですが状況は刻一刻と変わっていきます。
グローバリゼーションが日本に染みこみ、私たちのまわりの環境が著しく変わっていくのは時間の問題です。

では、ちかい将来グローバリゼーションによってどんなことが起こってくるのか?
日本で起こっている出来事をふくめ、次回はその点について書いてみたいと思います。