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2017年1月6日金曜日

英語学習で大切なこと その②



















こんにちは。GICスタッフのYumaです。


前回のブログで、英語学習で大切なことに
「人間性」「コミュニケーション力」「生きた英語力」
といったものを挙げました。

今回はこの三つをもう少し深く掘り下げてみようと思います。


前回、英語学習を実際にはじめる前に「自分の英語学習がまちがっていないかつねに確かめること」「正しい目標を設定しつづけること」が大切であることについて書きました。英語学習は言うなれば「短距離走(スプリンター)」ではなく「長距離走(マラソン)」です。自分なりの目標を設定して、そこへと忍耐強く走りつづけることはとても大事なことです。

また、英語学習の基本を知ることは、「いままで自分の考えていたことがまちがっていた」ということに気づく重要な問いかけにもなります。僕がこのように書くのは前回にもお伝えしたとおり、多くの日本人の英語学習者が「受け身」の勉強を中心にして英語を認識しているように思えるからです。必ずしもそれがまちがいだとは思いませんが、今日のブログでは総合的な英語力の養うことの大切さについてふれてみたいと思います。


日本で養われた「人間性」

日本では中学校あるいは小学校から英語の授業がはじまり、四年生の大学をふくめれば最大で10年〜12年の英語教育を受けることができます。しかしこの年数のあいだに本当に英語をものにして世界を舞台に活躍している人はほんの一握りだと思います。その理由は前回にも書いたとおり、日本は成績・知識重視の英語教育に偏っているからです。

英語を「知識」として捉えることは「身につける」こととは異なります。言語は歴史の人物名や地名のように暗記して、必要なときに記憶から引き出すというものではありません。ちょうど暗記したものを貯めておく箱や引き出したりするときに用いる貨車がまったくべつようなものです。相手が話す英語を日本語で解釈して聞いて、自分が伝えたいことを日本語から英語に変換して話しているのでは、それは英語を「身につけている」とは言えません。

そのちがいを明確に区別する前に「英語はむずかしい」「やっぱり自分にはできない」とあきらめてしまう人がたくさんいるように思います。さらに日本は英語ができれば有利な社会だと言われていますが、世界のほかの国(たとえば韓国やフィンランド)と比べてみると最悪英語ができなくても困らない・なんとか就職することができる国です。そういった経済的な余裕があるので英語を身につけることの優先順位は下がり、結局日常の忙しさに負けて英語を身につけることを挫折してしまいます。

日常の忙しさに負けてしまうほどに自分の「英語を身につけたい」というモチベーションは低いのか?そういった自問をしつづけることは将来図を描くにも役立つと思います。

さらに、まわりの人で英語を身につけるのをあきらめる人がいたり、英語を用いて仕事をしている友人がいないということも、具体的に将来設計を描くことができないことのひとつの要因かもしれません。まわりの人たちのなかに外国人の知り合いが多い友人がいたり、英語を使って活き活きと働いている人がいると、「自分もあんなふうになりたい」と思ったことはありませんか?自分をそういった人たちの近くに置いておくことは、思い描いた未来に近づくための大切なモチベーション維持の方法です。

このように、成績・知識重視で「身につける」ことを看過している日本の英語教育を受けてきた私たちが陥るもっとも典型的な罠は「自分は英語が話せない」という執拗な嘘、そしてその嘘から生み出される自信の欠如です。「成績・知識重視の英語教育で高得点を取ることが英語を身につける道だ」と信じるのをやめ、実際に英語を「身につける」ということがどういうことなのかを知りましょう。


英語を通して世界の扉を開く「コミュニケーション力」

僕が7年ほど前に留学していたバンクーバーにはたくさんの日本人がいました。通っていた語学学校には学生やフリーターがあふれ、その気になれば日本語だけで過ごせなくもないほどでした。当時の僕もふくめてですが、日本人の多くは先に挙げたように日本で養われた人間性の「殻」を破れていないようにみえました。日本人同士でかたまることを好み、日本人同士でルーム・シェアをしたり、日本人の美容師が経営している美容院に髪を切りに行ったりしていました。

これは異文化交流という観点から見れば悲しい事実だと思います。英語を身につけたその先にあるのは、ほかの国の人々との内的な交流です。それぞれの国で生まれ育った人には、その国に独特な文化であったり歴史背景からたどることのできる考え方といったものが存在します。英語はある意味では、自分の内的な文化につながる扉を外へ開くための鍵です。扉を開くために鍵があるのに、扉を開かないのであれば英語を学ぶことにも意味がありません。

異文化交流の本質は許容することです。僕がバンクーバーにいるときにたびたび耳にした意見として「ルームメイトのメキシコ人がうるさい、人に気を配らない」「ドイツ人の友人が自分の意見ばかり主張する」というものがありました。ですがメキシコ人には気楽な人が多いことや、ドイツ人は自己主張をはっきりする国民であるといったことは、まず自分から心を開いてその人のことを受け入れてみなければわからないことです。

日本人には「和(調和)」の文化や争いごとを避けるために物事をはっきりと言葉にしない性質があります。それは同じ価値観を持っている人たちのあいだではとてもいいものです。ですが気楽な性格でだれとでも打ち解けることを大事にするメキシコ人や意見を主張し合っていい結論を生み出そうとするドイツ人からすれば、日本人は物静かでつまらなく、自己のない人だと捉えられます。日本人である自分の考え方が正しいと考えるのは、異文化交流において非常に致命的です。

僕のルームメイトだったスイス人の女性がいました。彼女は英語を学ぶことを条件に会社から長期の休暇をもらって留学をしていました。日本では考えられない制度です。またオランダ人の男の子は高校を卒業してすぐにバンクーバーにやって来ました。十八歳の彼が教えてくれたその理由は、大学に行く前に世界を見ておきたかったというものでした。小、中、高、大と段階的に駆け上がって行くことしか考えたことのない僕にとって、その考えもまた斬新でした。

このように、世界には日本にはないたくさんの異なる価値観が存在します。その価値観を知るためには、英語という鍵を使って自分の内面の扉を世界へと開かなければなりません。単一民族国家である日本では、1億2千万人以上もの人がいながら世界とのインターアクション(相互作用)が少ないため、偏った価値観になってしまっている人は少なくありません。


偏った考えを正して身につける「生きた英語」

ここまでで成績・知識重視の英語教育ではなく英語を「身につける」ことがどれほど大切なことかおわかりいただけましたでしょうか?あなたが日本人でこれから英語を学びたいというのであれば、まず自分の頭のなかにインプットされている成績・知識重視の英語教育を捨てなければなりません。そこがスタート地点です。

最後に英語を「身につける」ために大切な基本的な考えをもうひとつご紹介して終わります。

それは「日本人の英語を身につけるために費やしている勉強量は圧倒的に少ない」ということです。

勉強量の時間について話をする前に、日本語がどれほど英語から離れているかについて書きます。まず、言語に使用されているのは英語が「アルファベット」で、日本語は「ひらがな・カタカナ・漢字」です。絵のようにざっと見てなんとなく意味をつかむことのできる漢字とちがって、アルファベットを読むことに慣れていないのですっと頭のなかに入ってきません。この時点でスペイン語を話すメキシコ人やドイツ語・フランス語などを話すスイス人と大きな差があります。遊んでばかりいるのに英語がうまい南米人がいるのは、日本人ほど勉強しなくともアルファベットが頭にすっと入ってくるからです。

また日本語はSOVの構造で言語が成り立っていますが、英語はSVOです。主語まではいけても次の言葉に詰まるのはごく自然なことです。この点、中国語は英語と同じSVOの文法構造をもっているので、日本人は中国人よりも不利な点が多いと考えられると思います。さらに日本語には母音が5つしかありません。一方で英語の母音は16つです。約3倍も多いのです。日本人にとって英語の発音がむずかしいと感じるのはごく自然なことです。

同じ語源を共有するドイツ語やオランダ語、さらには歴史的に影響を与えたフランス語といった言語と比較して、日本語は英語からとてつもなく遠く離れています。ですので、「私はメキシコ人のあの子やドイツ人のこの子と比べて全然話せない」という比較はまったくもって誤った比較だとお考えください。日本人にとって英語はむずかしい言語。ヨーロッパ系や南米系の人たちよりも多くの勉強量を費やさなければいけないのは当然のことです。

勉強量の少なさについての細かい数値はほかのブログで紹介されているもので非常に参考になるものがありましたので、それらをいくつか紹介させていただきます。そのなかでもとくに印象的だったのは、私たちが中・高六年間で英語を学ぶ時間は約1,500時間なのに対して、アメリカの国務省のエリートが日本語を習得する平均時間が約2,760時間だということです。エリートたちでそれほどの勉強量を費やしているのですから、私たちが英語を話せないという前に十分な勉強量を費やしているかと考えることはとても大切なことです。

「なぜ日本人は英語に苦労するのか?」英会話カーディム別館
http://myspoor.com/category11/entry25.html
「英語を話すために必要な学習時間とは〜英語学習の出口が見えない方へ〜」わいわい英会話
http://waiwaienglish.com/time-1105.html
「英語の習得に必要な学習時間」ENGLISH TUTORS NETWORK
http://www.etn.co.jp/approach/period.html

また当然ですが、エリートが日本語を習得する約2,760時間という勉強時間のすべてが机の上での勉強を意味しているのではありません。前回も書きましたが英語は「生きた」言語であり、地域によって用いられる単語や言い回しにちがいがあったり、発音にさまざまな種類があったりします。第一言語としてだけでなく第二言語や第三言語としても用いられることの多い英語は、世界ですでに数十億人もの人に話されていると言われています。たくさんの人に話されているだけ、英語は非常に多様性に富んだ言語なのです。


さて、これまで実際的な英語学習ではなく、英語に対する考え方について見てきました。みなさんのもっていた考え方とどのようにちがっていたでしょうか?

学校で基本の考えを学んでこなかった私たちには、英語に対する誤った認識が根深く残っています。これを取り除くためには、英語に対して正しい認識をしている人たちに囲まれて、気力を挫く認識から自分自身をつねに遠ざけていなければなりません。

Genesis International Collegeではこれまで見てきた英語に対する考え方を基本と考え、それに基づいた英語教育の提供、環境づくりに努めています。現在毎月行なっているGenesis Cafeにはその基本の考えをもった、英語を楽しく学んでいきたい!と思っている人たちがたくさん集まっています。「英語を身につけたい!」という方はぜひ一度足を運んでみてください!


Genesis Cafeでみなさまにお会いできるのを楽しみにしています!
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次回は実際の英語学習についてお話ししたいと思います。



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